ホーム

富士な人

藤田あや子さん

藤田あや子さん

藤田あや子さん

ゴミ問題に取り組んで40年 心には富士山

藤田あや子さん

青木ヶ原樹海で清掃活動をしていると、30年以上も前に販売された飲み物の古い缶やビンがごそっと見つかる。今でこそ、3R(リデュース=削減、リユース=再利用、リサイクル=再資源化)は当たり前。だが、自動販売機が出回り始めたころ、大量消費の一方で「リサイクル」の意識はほとんどなかった。

自らを語るとき、「40年間ゴミのおばさんです」と話す。高度成長期を経て大都市では、焼却され、または埋め立てられているゴミの処理が大きな問題となっていた。70年初め、増え続けるゴミに対処するため、子どもが通う小学校の近くで、清掃工場建設が計画された。母親の立場から反対運動を始めたが、同時に生活者の視点から問題を捉えるようになった。

ゴミ問題の解決は処分施設をどんどんつくればいいというものではない。大量生産、大量消費、大量廃棄の時代、行政システムの中で、リサイクルを推進すべきと、85年に自分の住む目黒区で、市民団体の事務局長となり、全国に先駆けて、リサイクル条例制定の直接請求運動を始めた。

その後、ゴミ問題調査のために10カ国以上の海外視察に出向き、執筆や講演活動を続けた。90年には国会議員に市民の政策提言の声を直接届けようと、「地球環境とごみ問題を考える市民と議員の会」を設立、初代事務局長に就任。何かあれば、現職の国会議員が今でも、「藤田さん」と声をかける。
富士山のゴミ問題に対し、説得力がある発言ができるのは、リサイクル活動に40年間継続して取り組んできた経験があるからだ。

山梨県富士吉田市で二女四男の6人兄弟姉妹の長女として生まれ、富士山の湧水を産湯につかい、富士山に見守られて育った。東京に暮らしていても、いつも富士山は心のよりどころだった。

ゴミ問題に取り組む中で知り合った元環境庁長官・故岩垂寿喜男氏から、富士山クラブ発足のことを聞く。設立総会に参加、檀上に居並ぶ理事の中に、女性の姿はなかった。富士山を愛する一人として、そして生活者の視点をもつ女性として、意見を述べた。それがきっかけで理事となり、04年から2年間、理事長も務めた。現在も理事として、清掃活動をはじめ、さまざまな活動に参加し、現場に顔を出す。人脈を生かし、富士山クラブのネットワークを広げる一役も担っている。

ワンガリ・マータイさんと3Rを世界で提唱するワンガリ・マータイさんとも意気投合

問題があれば自ら行動、市民運動をまとめ、女性として先頭に立つのを厭わない。原点は自分の母親、そして20代の頃に薫陶を受けた、女性参政権の獲得に尽力した政治家・故市川房枝にある。

母親は強く信念のある人だった。戦地にいた父親に代わって、戦時中6人の子を育て、地主の家を守ってきた母の姿を見てきた。

母親の後押しで、終戦間もなく、GHQの兵隊が闊歩する東京へと、大学進学のため上京。勉強の傍ら、新劇の舞台に立ち全国をまわった。目まぐるしく変化する大都市も田舎も体験し、民主主義の息吹を感じた。女性も政策決定にかかわり、女性や子どもの人権を守ろうと説く市川房枝の事務所に出入りするようになったのも自然の成り行きだった。

今年で80歳。富士山が人生の終着駅。昨年、全国規模の財団や協議会の役員を全部辞退した。富士山だけに心を注ぎたいという。今、一日たりとして、家でじっとしていることはない。日々、富士山を向いて活動する毎日だ。

(富士山クラブ通信32号より転載)

最終更新日  2010年4月28日