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団体会員トップに聞く Vol.04

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美術年鑑社 油井一人社長

どんなものでも真剣に見る目が、支える美術年鑑
「日本の美 富士」の出版も

美術年鑑社 油井一人 社長美術年鑑社
油井一人 社長
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創業は1929年と、長い歴史をお持ちなのですね。
油井
私は3代目になりますが、初代の山田正道社長が「美術年鑑」を創刊したのが、会社のはじまりと聞いております。戦後、私の父・一二(いちじ)が、共同経営者となり、その後会社を引き取っています。父はいわゆる「風呂敷画商」と呼ばれる商売で、風呂敷に絵を包み、一軒一軒回って、買っていただいていたわけです。そんな商売の中で、戦後、山田社長と一緒に事業をはじめましたが、最初はうまくいかず画商に戻ります。しかし美術年鑑をお客様にお配りしていた関係で、再び一緒に経営し、二代目社長になったわけです。
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そのお父様ですが、集められた絵画1600点を佐久市に寄贈され、それが「佐久市立近代美術館」誕生のきっかけになったようですが。
油井
父はもともと絵画のコレクターでもあったのです。商売は掛け軸専門で、地方の床の間のある家を回っていたようです。その後「美術年鑑」の発行に携わるようになって、油絵や彫刻、工芸、書などの諸先生と接点が生まれ、コレクションを充実させていったのです
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そんなお父様のお姿を見ながら成長されたのですか。
油井
そうですね。父が、「美術年鑑」をはじめたころは、私は大学生3年でしたが、まさに父の運転手として「手足」になって、先生のところを回っておりました。まさに「門前の小僧」ですね。私は自慢するわけではありませんが、いわゆる「絵心」がまったくありません。子どもの頃から、私が描くと形にならない。しかし父のお陰で、数多くの美術品を見ることができて、そこから美術を「見る目」は養われましたね。よく父と点数をつけて競ったものです。展覧会などで、父が「お前は何点つける」と聞きます。そのあとに父の感想を聞きますと、さすがに見る眼が深いのには、いつも感心させられました。同時にどんな物でも真剣に見るという訓練をさせられましたね。
78年間、毎年発行されている『美術年鑑』78年間、毎年発行されている『美術年鑑』
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社名からも推察できますが、「美術年鑑」が会社の柱ですか。
油井
おっしゃるとおりですね。それと1971年に創刊した「新美術新聞」(月3回発行)が2大柱といえるでしょう。実は今でこそ、わが社の美術年鑑はオーソライズされた年鑑ですが、父が引き継いだときは、もう一社、老舗というか大正元年当時から発行している年鑑が業界を席捲しており、わが社は二番手でした。それを父の努力で、ここまでもってこられたのです。
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具体的にはどんなご苦労が、あったのですか。
油井
一言で言えば、父の持ち前のバイタリティーですかね。風呂敷画商のときに培った「商売魂」が、お客さまである読者が、何を求めているかを的確に見抜いていった結果でしょう。使う人にとって、見やすく、引きやすい年鑑にする。そのために何をしたらいいのかを徹底して考え、直すところは直していった。例えばページの中の一本の線、一つの点にすら神経をそそいでいかなければならなかった。また絵を見る目も、本を見る目もおなじなんですよね。本を良くするためにどこを変えればいいかを見抜く目が、父は確かだったのでしょうね。
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しかし、美術関連の本だけに印刷の精度には気を使われるのでは。
油井
そうですね。当然のことながらカラーが多いですから、色が上手く再現できないと、画家の先生から怒られます。せっかく紹介するのに、色が悪ければ逆効果になりかねませんからね。しかし我々が気をつけて版下の段階で印刷会社にいろいろ注文をつけても、最後は輪転機で刷るわけですから、出来上がってきたら「色が違う」と、泣かされることは何度もありましたよ。
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そういえば2000年に「日本の美 富士」を発刊されていますね。なにかきかっけがおありだったのですか。
油井
年鑑や新聞だけではなく、企画本も出したいなと思っていました。その中で富士山は、日本の象徴でもあり、皆様に一番なじみのある山でもありますからね。絵が描けない私ですら、小学校の頃は富士山の絵を描いたこともありますから。内容は11世紀の「聖徳太子絵伝」から、絹谷幸二の「雲上富嶽葛城山上」、大山忠作「朱峯」など近代、現代の372点をカラーで紹介。さらには明治以降の632点をモノクロで掲載しています。出版するにあたっては、これまで描かれた歴史的なものから現代までを綿密に調べて、資料集として入れていかなければならないものは入れるなど、重みのある作品集にするための努力をしました。その結果、歴史の流れと現存の人たちが、どのような富士山を描いているかが一冊の本でわかる内容に仕立て上げることができたと思います。

「富士山に登るなら、海抜ゼロメートルから」

『日本の美 富士』の出版が、富士山クラブとの縁になった『日本の美 富士』の出版が、富士山クラブとの縁になった
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そういえば、富士山クラブにご入会されたのも、この本をお出しになられた頃ですが、この本が、入会のきっかけになったのですか。
油井
一つは、せっかくこれだけの本を出したのだから、富士山を考える団体があるなら入会する。そのいいきっかけになるかなと思ったわけです。富士山クラブのことは、編集者が、本を作るためにいろいろと資料を集めている中で、毎日新聞に資料を借りに行ったとき、その存在を耳にしたようです。最後は私が入会を決めました。
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その富士山ですが、最近は世界遺産の登録など、何かと話題が多いのですが、その現状をどうお考えですか。
油井
世界遺産に登録したいということもあるのでしょう。富士山クラブをはじめ、皆さんが、きれいにしようと活動されているわけですよね。しかし登る人も多ければ、汚す人も多い。マナーってものはなかなか、一朝一夕では身につかないものですね。一人で登るならゴミを捨てたりしないのでしょうが、団体になるとついつい、マナーを忘れてしまうようなところがあるのではないですか。「赤信号、皆で渡れば怖くない」ではないですが、団体になるとね。でも登るからには最低のマナーを守らなければ、と思うんですけどね。
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社長ご自身と、富士山のご関係は
油井
いつも登りたいと思っていても、なかなか行動に移せなくてね、困っているんです(笑い)。確かに幼少の頃は八ヶ岳の麓にいましたが、それも小学校1年までで、それ以降は東京で、山とはまるっきり縁のない生活をしてきました。富士山との縁といえば、2,3年前になるのかな。(富士山クラブ通信の表紙を描かれている)片岡珠子先生が、富士宮の浅間神社で、個展を開かれたときに見に行ったぐらいかな。いずれにしても、機会があったら登りたいとは常に思っているんですよ。それもどうせ登るなら、一合目の浅間神社のところから登りたいと思っていますが。
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富士山クラブは毎年、海抜ゼロメートルから、村山浅間神社を経て、「富士山村山口登山道」を歩き、山頂まで登っていますが。
油井
そうですか。来年は是非それに参加させていただきたいですね。やはりゼロから3776メートルまで歩いてこそ、意味があるのでしょうね。楽して登るのではね。いつも思うのですが、何事もあまり便利にしてしまうのは、決していいこととは思いませんね。
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富士山クラブも来年10周年を迎えます。それに向け、なにかご意見をいただけますか。
油井
富士山を描く絵描きさんは多いわけですよ。そういう人たちにも富士山クラブに入っていただくことはできないでしょうか。日本人の芸術家であれば、日本画や油の先生はもちろん、漆の先生なども色々(富士山を)表現されています。そういう先生たちを糾合するというか、集まっていただき、渦を作っていく、というようなことが必要だと思うのです。「あの人が入っていれば」というような著名な人が会員になれば、新規会員の獲得にも役立つのではないですか。及ばずながら私も協力させていただきます。
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最後に社長の夢をお聞かせくださいますか。
油井
夢は一杯あり、むしろありすぎて困るぐらいです。そのひとつは、日本には春、夏、秋、冬があって、今はなくなりつつあるけど日本人の心には季節感がある。それをもう一度見直す本をだしたいですね。例えば花を一つとっても春夏秋冬にそれぞれ描かれた絵はたくさんあります。そんな絵画を収録し、日本人の季節感をあらためて感じさせるような本ですね。でも最近は携帯電話やネットで情報を簡単に手にしてしまう。そのため落ち着いて物を見ようとか、何かを読もうとかいう雰囲気ではないんですね。歩きながら情報をとっている時代ですから。そんな世の中が変わってくれることが、最大の夢かも知れませんね(笑い)。

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最終更新日  2018年11月 8日