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団体会員トップに聞く Vol.06

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根場(ねんば)民宿協同組合 渡辺秀樹理事長、渡辺賢三事務局長

あるのは自然だけ 西湖で満喫、自然体験
民宿で知る、土地の食と生活と文化

根場(ねんば)民宿協同組合 渡辺賢三 事務局長根場(ねんば)民宿協同組合
渡辺賢三 事務局長
根場(ねんば)民宿協同組合 渡辺秀樹 理事長根場(ねんば)民宿協同組合
渡辺秀樹 理事長
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根場民宿協同組合の歴史からお話しいただけますか。
理事長
昭和41年にこのあたり一帯が、台風に襲われました。その頃、私たちはいまの「西湖いやしの里」の辺りに約40軒が集り、農業や炭焼きなどで生活していました。しかし台風による土砂崩れで、3軒を残し、すべて流されてしまいました。200人未満だったこの集落のうち、63人が亡くなられました。それを機に、あの山すそでは心配だということで、現在の地、青木が原樹海の一部の県有地を借り、40戸すべてが集団移住したわけです。
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民宿はその当時からはじめられたのですか。
理事長
はい。当時は西湖に、釣り客のほか観光客などが、ボツボツ来はじめていました。さらにここには昔、ユースホステルがあり、結構お客さんがきていました。そんなご時勢を考え、「これからは民宿でいこう」ということになりました。とはいえ、それまでは全員が農家で、いわゆる客商売をまったく知らなかったわけですから、最初は大変でした。しかし県の指導などを受けながら、なんとか開業することが出来ました。さらに,「災害から立ち上がり、民宿を経営」などと、NHKをはじめ数々の報道機関が取り上げ、宣伝してくれました。また農家上がりの素人の素朴なサービスと、家庭的な料理が受け、お陰さまで結構多数のお客さまにお越しいただくことが出来ました。組合は1970(昭和45)年に任意組合として誕生し、1988(平成元)年に協同組合として法人格を持つことになりました。
日本一美しい茅葺きの集落といわれていました日本一美しい茅葺きの集落といわれていました(組合提供写真)
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その後も、民宿経営は順調でしたか?
事務局長
いま理事長がお話しした通り、最初は言葉は悪いですが、黙っていってもお客さんが来てくださる状況でした。さらにはじめた当時は、民宿というものが根場地区しかなかったんですよ。そのためホテルとの料金的格差も手伝い、お客さんから「廊下でもいいから寝かせてくれ」と頼まれる時期もありました。ところが年々、観光業というものが発展する中で、どこへ行っても民宿、というものが出てきたわけですよ。その中で競争もあり、だんだんお客さんも分散し、個人のお客さんも一時ほどはいらっしゃらなくなってしまい、何らかの対策を立てなければならなくなったわけです。実は協同組合になったのもこのことがきっかけなのです。集落の中に体育館がありますが、それを建てるための資金を融資してもらうのに、法人格がなければ受けられない、ということで協同組合を設立したわけです。
自然にかこまれ、かつて40戸の家族が暮らしていた自然にかこまれ、かつて40戸の家族が暮らしていた(組合提供写真)
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何故、体育館なのですか。
事務局長
それは学生団体を受け入れる準備です。我々が受け入れている学生さんは合宿というより、自然教室、林間学校がほとんどです。林間学校というのは来れば必ずキャンプファイアーというのをやりますよね。しかし天気の日ばかりではありませんから、キャンプファイアーが雨で出来ないとなれば、屋内でキャンドルサービスや、ちょっとしたリクリエーションが出来きる施設が必要なのです。さらにすべての民宿の庭先には、いわゆる飯盒(はんごう)炊さんができる設備が整っています。旅行関連は大手代理店から我々のような中小組合まで、個人のお客さんを対象とした商売がぐんと減ってきている。それもそのはずインターネットで直接予約をいれ、価格の交渉をする世の中では、なかなか個人のお客さんを、組合が各民宿に斡旋するのは難しい。それに対し、学生団体はその逆で、個々の民宿が予約を取るのはほぼ不可能で、代理店から組合がまとめて受けて、各民宿に振り分けているわけです。
西湖いやしの里台風の土砂災害で消えた集落は、現在「西湖いやしの里」として復元され、伝統工芸体験やギャラリー見学できる観光スポットとして人気がある
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最近は富士五湖周辺にはホテルやペンションなど、色々は宿泊施設がありますが、その中で民宿の魅力は?
理事長
民宿の最大の売りは、その地域の人が携わっていることでしょう。ペンションはほとんど都会から来た人が経営している。そこの違いから、民宿にお泊りいただければ土地の味を楽しみ、土地の情報を手に出来るわけですよ。料理も団体さんなどは、すべて手作りというわけには行きませんが、個人のお客さんなら、この土地ならではの「ジャガイモの味噌の煮っころがし」とか、西湖のヒメマス、地のネギを使ったネギ味噌などをお出ししますよ。「ほうとう」なども25軒民宿があれば25通りに味があるはずです。自家製の味噌を使う人、買ってくる人、それはさまざまです。季節によっては、秋なら山で採ってきたキノコをふんだんに入れた「ほうとう」なども、食べていただけます。
事務局長
実はヒメマスは西湖が南限なのです。富士五湖でも水深が深い西湖と本栖湖にしかいませんが、その南限のヒメマスをここでは食べられるわけです。
逆さ富士も見られる西湖逆さ富士も見られる西湖では、シーズンにはヒメマスの釣果を競い、食する楽しみがある
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ところで余談ですが、西湖と本栖湖が底でつながっているという話しもありますが。
理事長
公式的にはつながっていないことになっています。県も学者もはっきり「つながっていない」と言明しています。しかし西湖、本栖湖、精進湖の生い立ちを見ますと、もともとは3つの湖は「瀬の海」という1つの湖でした。それが最初の噴火で本栖湖が分かれ次の噴火で精進湖と西湖に分かれた。ですから下でつながっていてもおかしくありません。現に西湖の水を河口湖に落とし、西湖の水面が下がると、必ず本栖湖の水位も下がる。両方の湖の水面は何故か常に同じですねえ。
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ところでホームページを拝見すると、宿泊客に対しての「自然体験プログラム」が充実しているようですが・・・
事務局長
学生団体を受け入れた当初は、各学校さんのパターンは決まっていました。2泊3日でいらして、まずその日は飯盒炊さんで、夕飯を食べ、翌日は登山など周りを散策し、夜はキャンプファイアー、これで十分だったのです。しかし、ここ数年での総合的学習のスタートで、学校はその時間を、自然教室などに充てるようになったのです。すると我々に対し、自然の中で、どんなことが出来ますか、あんなことは出来ますか、と要望が多様化してきたわけです。富士五湖近辺のホテルはどこも、お客さんがいらして、泊まって、朝お帰りになる。これでよかったわけですね。ところが根場は組合がありますから、それだけではなかなか運営していくことができない。その中で、組合として、「根場に泊まっていただければ、こういうことが出来ます」というのを、打ち出していこうと考えたわけです。その中で「自然」を打ち出したのは、西湖には他の湖と異なり、自然しかありませんということを、逆手にとって、林間学校としては適しているのではないかということを打ち出したわけです。
子どもたちが刈った茅は、いやしの里の茅葺民家の屋根に使われた子どもたちが刈った茅は、いやしの里の茅葺民家の屋根に使われた
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その中でも、やはり青木が原が主役ですか。
事務局長
そうですね。でも、青木が原を知らない人にとっては、まだ青木が原は怖いところでしかないようです。中に遊歩道があって自由に歩けるんだということを知らない人が多いですね。テレビの番組などでも、ちょっと入っていくと、自殺者がごろごろしているような作り方もしますしね。怖い森というイメージが定着しています。その青木が原の本当の姿と、豊な自然を子どもたちに体験していただければと、常々思っているのですが。
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最近、世界遺産の暫定登録リストに載るなど、何かと富士山が話題になりますが、現場にいらして、富士山を取り巻く現状をどうお考えになりますか。
理事長
以前は、まさに野放し状態で好きなことをしている、といった感じでしたが、いまは地元の人はもちろん、登山される方も、環境に配慮された行動をしているのではないでしょうか。ゴミなども以前に比べればもう捨てる人もいなくなりました。組合では以前から湖畔や道路沿いの清掃を月1回、4月から10月まで、毎月30日にやっています。各自がゴミ袋を両手に1つずつ持って歩くのですが、以前は1時間もしないうちにそれがいっぱいになってしまいました。しかしこの5,6年はゴミを探すのが大変になるほどで、いまでは5、6人でやっと袋1つがいっぱいになる程度にまで変わりました。やはり環境に対する意識が、かなりよくなりましたね。
事務局長
もう1つ言えるのは、ゴミがなくなったから、捨てる人もいなくなったのでは。修学旅行の一貫として、環境を考えるエコツアーなどで環境の大切さを教えることで、将来、環境のことを考えられる大人になっていけば、ますますきれいになるんではないでしょうか。
もりの学校で、茅葺きの体験学習する子どもたちもりの学校で、茅葺きの体験学習する子どもたち
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ところで、富士山クラブがもりの学校をお借りするにあたって、多大なお世話になったと聞いておりますが。
理事長
もりの学校は、先ほどお話しした、台風で被害を受けるまでは、旧足和田村立西浜小学校・根場分校だったのです。余談ですが我々二人もあそこで6年間学びました。それが災害を機に本校に統合され廃止されました。あの土地そのものは根場地区のもので、共有地なのです。そんな関係で廃校と同時に、建物も村から地区に払い下げになりました。その後、一時は放置されていたのですが、ある人が、「宿泊施設に」と10年ぐらい借りた後、縁あって富士山クラブにお借りいただいたわけです。
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その富士山クラブに対するご提案、ご意見はございますか
事務局長
野口健さんがもりの学校の校長になられ、組合にも何回かおいでになりました。そのとき、「夏場は富士山クラブが根場の民宿をいっぱいにしますよ」なんてお話もありました。まあ、その言葉を待つまでもなく、もりの学校があそこにあるということで、どうしても組合としては、そういうことを期待してしまう。それはともかく、これからは夏休みの催し、親子の体験教室など、共同で企画できたらと常々思っています。

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根場(ねんば)民宿協同組合

最終更新日  2010年4月13日