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団体会員トップに聞く Vol.05

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特定非営利活動法人火山洞窟学会 立原弘会長

人跡未踏の火山洞窟にのめり込むこと40年
世界で唯一、富士山の巨大溶岩樹形の保存に腐心

NPO法人火山洞窟学会 立原弘 会長NPO法人火山洞窟学会
立原弘 会長
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1970年に「富士山溶岩洞穴研究会」として発足していますが、そのきっかけは?
立原
設立のきっかけは、当時東京大学の名誉教授をされていた火山学の大御所の津屋弘達先生です。実は1971年に創立45周年を迎えた富士急行が「富士山」という分厚い学術書を記念出版しました。津屋先生はその本の「富士山の地形・地質」の項目をお書きになるために、富士山麓に調査に入られました。その案内役として、同社の広報からは、後の会長になる故小川孝徳氏が、溶岩洞窟調査担当となって同行しました。そのうち先生から「今後は洞窟も調べなければいかん」というご意見がでて、研究団体を作ることになったのです。そこで、山梨や静岡の教育委員会に声をかけてできたのが、このNPOの母体です。
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それから「日本火山洞窟学協会」を経て、2004年にNPO「火山洞窟学会」が誕生していますね。
立原
当時、日本には洞窟研究団体が10ぐらいあって、仲間内で、がちゃがちゃやっていたんですよ。それを見て、国立科学博物館の上野俊一先生や、愛媛大学の鹿島愛彦先生など、日本の洞窟研究の大御所が「これではいかん。日本の恥を世界にさらしてしまう。一本化しよう」といわれ、「日本洞窟学会」に合併という形になったわけです。ひと口に洞穴といっても、大別すると鍾乳洞と溶岩洞の二つに分けられます。そのうち、雨水や地下水が石灰岩地を浸食してつくった鍾乳洞は、かなり知られています。山口県秋吉台の鍾乳洞をはじめ、観光名所となっている石灰洞に行ったことのある方は、たくさんおられます。ところが、火山の噴火でできた溶岩洞窟は、意外に知られておらず、鍾乳洞の研究者とは別々に研究していました。しかし、このとき初めて「日本洞窟学会」に一本化され、当時その傘下で「富士山溶岩洞穴研究会」となり、それが後に「火山洞窟学協会」になり、今のNPOになったわけです。とはいえ、鍾乳洞と火山洞窟は今でも写真だけは犬猿の仲なんですよ。観光地の鍾乳洞は中もきれいでしょ。それに比べ火山洞窟の中は真っ黒の石だらけで、写真を見たって勝負になりませんよ。火山洞窟には美しい鍾乳石も二次生成物もないしね。ただ暗い穴が空いているだけですからね。研究だから、ひがむことはないのに、火山組はひがんでしまう。うまくいかんもんです。
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立原理事長が、洞窟に係わられたきっかけは、何だったのですか。
立原
私は東京都青少年育成会というところでボランティアをやっていました。ある時、子どもたちを連れて、富士風穴に入ったんですよ。で、夏なのに氷がある。しかし子どもたちに「何故氷があるのですか」と聞かれても、答えようがないわけですよ。でこりゃいかんと思い、勉強しようと、あちこち行っているうちに小川氏の存在をしり、そのまま。結局30何年、一緒でしたね(笑い)。僕は中学から登山をやっていましたから、洞窟研究というより探検的な興味なんですよ。それが溶岩洞窟研究会仲間と付き合ってみたら、当時の会員はザイルもないんです。例えば縦穴を下りるときなど、僕はクライミングやっていましたから、彼等のやり方を見てびっくりしました。当時は縦穴に入るときなど、丸太ん棒に五寸釘を打ってそれを足場に下りていたんですよ。僕は「こんな危ないことよくやっている」と、山の技術を教えているうちに、ケービングが面白くなってしまったんです。しかし最初は、単に、穴がどこまで続いているかなど、冒険的にやっていたんですが、小川氏が「これではいかん」と、洞窟の測量をはじめるようになったんです。それからですね、本格的に凝りだしたのは。
鳴沢ジラコンノの溶岩スパイラクル山梨県鳴沢村で87年発見された、
鳴沢ジラコンノの溶岩スパイラクル。
溶岩流が外気に触れて冷やされ、内含されていたガスが抜けた様子がわかる
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日本に限らず、世界各地に行かれているようですが。
立原
行きましたねえ。26カ国は行ったかな。でも我々は大学などと違い、研究費がない。そこで、どうすればただでいけるかを考えた(笑い)。そこで思いついたのがテレビでした。テレビ制作なら企画や技術指導をすれば海外に行けますからね。ある年齢以上の人はご存知かもしれませんが、「水曜スペシャル・川口浩探検隊」にも、洞窟取材のときは同行したことがありました。結果的に、そのための情報を仕入れるのもまた大変で、当時はインターネットなど便利なものがありませんから、海外の書籍が頼りです。洞窟関係はフランスが多いので、それを取り寄せて、「お!ここにも火山があるぞ。じゃ行くか」てなわけですよ。
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でも、何故鍾乳洞ではなく、火山洞窟なのですか。
立原
元はといえば、鍾乳洞と違って、研究する人が少なかったからです。きっかけは富士山の氷穴ですが、測量を続け図面を書いていくうちに色々なことがわかってきた。天井が上がっているところは下も上がっているところがある。これは洞窟生成上、天井が崩れたから下が盛り上がっている。しかし下が平らなのに上がドーム状になっている。これは何故なのか。実は本当に興味を持ったのはここからです。火山学者は溶岩の流れた後が火山洞窟だと、今でも言っています。我々もその意見には「左様である」としていますが、ちょっと違うのは、天井の凸凹です。全体的に作ったのは溶岩の流れなのだけど、その流れているときにガスが出て天井を膨らましたのではないか、そう考えると一番最初に洞窟を形成したのはガスである、ということになるでしょ。火山学者は今でも「洞窟がガスでできるわけない」と言われますが、でも空洞、すなわち初期の洞窟を作ったのはガスであると、我々は思っているわけです。
富士山麓には、大型の溶岩樹型がまとまって存在するという富士山麓には、大型の溶岩樹型がまとまって存在するという
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では、富士山の火山洞窟の特徴は。
立原
まず数が多いこと。延長が30メートル、50メートルの短いものも含めると140余りあるのでは。実はその一つひとつを探検することで我々は火山洞窟を知ることが出来ました。その中の一つに婆んば穴があります。天井までの高さが27メートルのドーム状の穴ですが、こんなのが原型で残っているのは他にはないですね。一番上にガスが抜けた穴があるんですが、実はこの穴にまつわる伝説があるのです。この洞窟のある、奇石博物館の上のあたりは、江戸時代、開墾地で非常に貧しかった。また明治以前はいわゆる「四足」は食べられなかったでしょ。ところがここらあたりの人は「四足」を食べないと、生きていけなかった。でも「お役人に見つかったら大変」と、食べた後の骨をこの穴に捨てて隠していたんですよ。ところが、ある時、一人の若者が、お婆さんを食わせることが出来ず、この穴に捨ててしまった。村人は急に一人になった若者を訝しがり、「お婆さんをどこへやった」と問い詰めた。そしたら「あの穴に捨てた」という。そこで村人は「これは大変」と穴に集まった。皆の衆は鶏を籠に入れ、「婆さんが生きていれば鶏が鳴くだろう」と穴から下に下ろしたんです。しかし鳴かなかった。村人は「こんなことがばれたら村の恥だ」と、穴に大量の土を入れこれまでの動物の骨ともども隠してしまった。という伝説が残っているのです。そこで我々が潜ってみました。
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骨が出てきたのですか?
立原
出てきました。詳しく言えば、中に入ると、確かに土がピラミッド状に盛られていました。「これはおかしい」と思ったが、個人で膨大な土を出すことはできない。そこでまたテレビです。幸い10チャンネルの「水曜スペシャル」が乗ってきた。実際に伝承を検証しようと中に入って掘り起こしたら、獣骨が出るわ出るわ。さらにその前には伝説通り、鶏の籠が出てきたんです。「これはすごい」となって、郷土史の研究家も入り、警察まできたが、結局「人骨」は見つからなかったんですよ。
北富士演習場の中にある直径4mの溶岩樹型北富士演習場の中にある直径4mの溶岩樹型。
どれほどの巨木があったのだろう
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ところで、溶岩が立ち木を巻き込んだときにできる、溶岩樹形についても研究されていますね。
立原
学者さんたちは、溶岩樹型が出来るのは、溶岩が木を包み、中で燃えた後に空洞ができると思っているわけです。私も最初はそう思っていました。しかしある時、自衛隊の演習場で、直径4.3メートルの樹型を発見したのです。実を言えば、その演習地では最終的に樹型が100カ所ぐらい見つかったんで、図面を引いて残そうと調査に入ったわけです。その時はじめてわかったことがあります。それは溶岩が樹木を巻き込んだ時、中は超臨界水状態、すなわち温度が374度で220気圧以上で密封すると水は液体と気体の区別がつかない、溶岩の中がこんな状態になるのではないかと仮説を会員の方が考え始めたんです。溶岩の中は1200度、さらに溶岩は石ですから、220気圧なんて簡単に上昇する。これを気がついたのは、樹型の中に炭がない、灰も残っていない。どこへ行っちゃたのだろうか、何か残ってなければおかしいのでは。これが最初の疑問。そして胎内樹型の内側はなぜ滑々なのか。この2つの疑問を重ねてみると、一度、溶岩が超臨界水状態になる場合と、溶岩が木の鋳型に固まったあと、再溶融することもわかってきた。しかし1200度以上の温度がなければ溶岩は溶けない。しかし木が燃えただけでは1200度になりませんから、そこで何らかの化学変化が起こっているのではないか。まだ結論は出ていませんが、ここまで考える必要がないから考えない。我々だけが「何故だろう、何故だろう」って考えはじめたんですよ。私が樹型にのめりこんだ理由は富士山以外にこんな大きな樹型が、世界中のどこを探しても報告例がないからです。アメリカにも樹型はありますが、大きさは直径40センチ程度、それが冨士山麓では1メートル以上のものが10本も繋がって発見されるなど、根本的にスケールが違う、ロシアのカムチャッカにはあるらしいのですが、我々が訪れたときはお目にかかれませんでしたがね。
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なんで富士山なのですか。
立原
まず裾野に樹木が多かったのでしょうね。さらに太い木、巨木が多かったのでしょう。言い換えれば木が巨木になるまでの間、噴火がなかったことが幸いしたのでは
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ところで、最近、世界遺産への暫定登録がされるなど、富士山がなにかと話題になっていますが、その富士山の現状をどうお考えですか。
立原
言葉は悪いのですが、富士山は最初から「食い物」にされているのではないでしょうか。お金になる山なのですね。観光を中心に大事なものを壊してきてしまった。例えば住宅。すそ野にどんどん家が建っていますが、あれ噴火したらどうなるのか、他人事ながら心配です。また、植林も各団体がやっています。木を植えるということはいいのですが、その前に木を切り過ぎましたね。これからは次の世代に向けて自然を残していくべきですよ。私は火山洞窟の関係で韓国の済州(チェジュ)島によく行きますが、彼らからは、大事なものはとっておこう、次の世代に残そうという気持ちが伝わってくるんですね。それに比べ日本は、自分の子どもを食べさせるために、自然をいかに利用していくかという考えが基本なのでは。その利用も、自然を借りるのではなく、破壊して元に戻れなくしてしまう。これが最大の課題だと思います。
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ところで、NPOの火山洞窟学会が、同じくNPOの富士山クラブの会員という、言ってみればユニークな形で、長らくお付き合いをいただいていますが、その冨士山クラブに一言いただけますか。
立原
一言で言えば、良くがんばっていてくれるなと思います。こないだも久しぶりに青木が原に入ったのですが、きれいになっているのにはびっくりしました。昔は我々が一度入ると、遺体を何体も見つけ、警察から嫌がられるほどでしたが、同時にゴミもすごかった。しかし我々は手を付けられなかった。汚れていても、あまりにもすごくて。それを自主的に(地元などが)清掃をはじめるようになったのは富士山クラブの功績なのではないでしょうか。これからも富士山クラブはゴミと取り組んで欲しいですね。世界中から学者が来ても、なんでこんなに汚いんだといわれたら、日本の恥ですから。

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特定非営利活動法人 火山洞窟学会

最終更新日  2018年11月 8日