日本橋から富士山頂へ
2020年に環境省ワーケーション事業補助金を活用して当クラブで調査した、「日本橋から富士山までの道歩き」(甲州街道を通って、大月から富士道を往き富士山へ)を、実践すべく、会員有志で日本橋を出発、10回に分けて約120㎞を歩きました。第1回目から参加した、会員の毛利昭さんのレポートです。
富士山クラブもなかなか粋な企画をやるものである。それが今回紹介する「お江戸日本橋」から旧甲州街道を大月宿まで歩き、大月からは「富士道(みち)」を歩いて富士吉田市の「北口本宮富士浅間神社」で参拝し、そこから富士山に取り付き山頂アタックを敢行すると言う企画であります。但し、この行程を一気に歩き通す訳ではなく、およそ120kmと言われる行程を、数日に分けて歩くものであります。
齢80の記念にとこの企画に参加し、今年の8月25日に富士山頂に立つことが出来ました。山小屋の人たちが「今季で一番の晴天だ」と言う通り、アメリカ大陸までは無理でしたが、スカイツリーも見える晴天でした。ラッキーでしたね。顧みれば、第一回は一年前の10月でした。日本橋を発って高井戸宿へ、二回目が高井戸宿から府中宿へ、三回目が府中宿から高尾宿へ、四回目が高尾宿から小仏峠を越えて相模湖までの予定でしたが、この日は高尾山の「ダイヤモンド富士」の日であるとの事で、予定を変更して高尾山頂へ向かいました。残念ながらダイヤモンド富士は拝めませんでしたが、この辺の融通の利くところがクラブの良いところでもあります。
五回目ですが、この間、コロナの蔓延に行程を阻まれ、行事が再開できずに焦りもありましたが、今年の夏からの再開となりました。従って五回目は小仏峠に登り直し、ここから相模湖に向かい藤野宿までとなりました。六回目が藤野宿から鳥沢宿へ、七回目が鳥沢宿から猿橋宿に至り、大月宿の追分で富士道に入りました。
甲州街道は現在、国道20号線と呼ばれ、日本橋を起点に長野県塩尻市までの一般国道となっておりますが、ほぼ旧甲州街道をなぞる形で走っております。しかし、中央自動車道(旧名・中央高速道路)の工事で、山間部に残っていた旧道も破壊され、散らばっていた道祖神や遺跡などは一か所に集められ、道の片隅に放置されておりました。これでは只の石塊にしかすぎません。大月で20号線と別れる富士道も、昔の富士講の人々が歩いた富士吉田へのルートをなぞって造られておりますが、併設された歩道が狭く、大型トラックなどが走ると風圧で体が揺れることも有りました。その様な過酷な条件にも拘らず我々は都留宿を目指して歩を進めました。八回目が都留宿から「北口本宮富士浅間神社」へ参拝しました。いよいよ富士の入り口と言う所です。
此処の歴史は1900年以上と言われる古い神社で、富士登山道の入り口に当たります。九回目が神社境内から富士の五合目までの登山道で、富士のすそ野を歩きます。今では、車で五合目までは誰でも行くことが出来ますが、歩くとなると大変です。鳥居をくぐり樹林帯を「中の茶屋」まで登りますが、道は整備されており傾斜もそれ程きつくはありません。その上の「馬返し」までは馬でも行くことが出来た道との事ですが、ここを過ぎると登山道は傾斜を増します。さすがに富士山、簡単に登らせてはくれません。
吉田口五合目「佐藤小屋」は吉田口登山道の中間地点と言われ、標高は2300mです。森林限界も近いこの地からは下界の眺望も優れ、河口湖、西湖、山中湖など富士を取り巻く湖が光っております。佐藤小屋には赤いインコが飼われており、登山者に愛嬌を振りまいておりました。我々は、ここから40分ほどの所にある富士スバルライン五合目まで歩きましたが、わずかに登坂する道路が疲れた体には応えました。ここまで来れば残すは富士山頂アタックのみです。
しかし、ここに至る街道筋には多くの神社仏閣が残されており、それぞれに由緒正しい曰く因縁が記されておりました。街道沿いには立派な水路が設置されており、灌漑用水や上水道として使われている様子が見え、水の豊富さに感心しきりでした。これを目にして感心したことは、水路の一部に小型の水車が設置されており、小規模な水力発電がおこなわれている事でした。更に、面白かったのは、おとぎ話で有名な「桃太郎伝説」ですが、山梨県にも同様な伝説がある事でした。これまで、この伝説は岡山県のものとばかり思っておりましたが、色々な所に有るのですね。
野に咲く花や野菜を目にし、野生植物の生態を論じながら歩く旅人の街道沿いの楽しみは、農家の軒先に並べられた無人販売所です。特に後半はご婦人方の参加が多く、無人販売所の前で歓声を上げる場面もありました。大月宿に近づいた場所には、桃の無人販売所があり、桃一球が100均で売られておりました。しかも立派な球で市販品と遜色もありませんでした。
買うことになったのは良いのですが、歩き疲れた旅の途中でもあり、六個入りの箱詰めは重荷になると思われましたが、疲れをものともせずに運びきったファイトには感動です。調べてみると、近くには犬目宿とか鳥沢宿、そして猿橋宿など桃太郎伝説に纏わる動物たちの名を冠した宿場町もあり、桃太郎伝説発祥の地と言われても納得のいく命名でした。鬼が棲んでいたのは、大月市に聳える岩の連なりが素晴らしい岩殿山(634m)との事でした。
この岩殿山ですが、観てお分かりの通り634mでスカイツリーと同じ高さなのです。確か、スカイツリーが完成した年だったと思いますが、富士山クラブのイベントに「スカイツリーと同じ高さの山に登ろう」とのキャッチコピーの下、有志が集まってこの山に登った事もありました。見た目も岩峰の連なる様相ですが、登ってみるとさらに厳しい岩山の連続でした。正に鬼が棲むに相応しい山容です。この様な事を思い出させてくれるのも歩行の醍醐味ですね。
そしていよいよ、十回目が富士山頂アタックです。朝一番でスバルライン五合目に至り、出発は午前6時で同地点への帰着が午後5時半でした。登頂と下降で11時間30分、ほぼ半日でした。通常、登りが6時間下りが4時間と言われておりますが、休憩を入れれば、ほぼ、その範囲内での行動が出来たと喜んでおります。行程の最後になるアタック隊のメンバーは女性が4名、男性は私の他に会員で山伏の土屋氏に同行してもらいました。白い山伏装束とほら貝を鳴らす土屋氏は、行きかう外国人の目を奪い、諸所で写真を依頼されたりほら貝の音色をせがまれたりと大忙しでした。
巷間、外国人登山者の素行の悪さが報じられておりますが、今回の登山中にその様な人々は皆無でした。それにしても、外国人の登山者は多いですね。行き交う登山者の半数以上は外国人でした。しかし、登山道にゴミを捨てる輩は少なくなったとは言え、多少は存在することも確認できました。
富士山クラブの会員とスタッフの一行ですから、全員がゴミ袋を下げ、途中のゴミを拾いたいとの意志は有ったのですが、ゴミ袋はスタッフの方が持ち、残りはゴミを見つけ次第そのスタッフに預ける手立てとしました。行は空気しか入っていなかったゴミ袋は、帰路には大きく膨れ上がる形になってしまいました。青木さん、ご苦労をおかけしましたが、ゴミの運搬有難うございました。やはり、登山とゴミ拾いの二兎を追う作業は無理である事も確認できました。
昼過ぎには山頂に到達しましたが、到達時には思わず「万歳」の声が出ました。多少の時間差はありましたが、登頂した全員で記念写真を撮り「般若心経」を唱えて神に感謝しました。当然、80歳で登頂した記念に「高齢者登山名簿」に名を書き込み、記念にお神酒を頂き「国鎮末広」と書かれた扇を頂戴しました。お神酒の盃は火口に投げ込むとの事で、火口に立ち水平に投げましたが軌跡は思い通りには描けませんでした。
午後2時15分に山頂を発ち、下山専用のルートを辿り出発点の五合目を目指しました。荷役用のブルドーザー道を歩くのですが、傾斜がきつく滑りやすい処もあり、走って下降する訳には行かず、慎重に下降ルートを踏みしめました。下界に降りれば待っているのは温泉と宴会です。翌日は「吉田の火祭り」が予定されており、富士の閉山を確認しての終了となりました。それにしても、冒頭で記した通り、富士山クラブの企画は面白いものが多く、私がこのクラブの存在を知ったのも「花の大江戸桜まつり」と称する花見の会でした。清掃活動や自然保護活動なども重要なイベントでしょうが、少し離れた企画をもって会員を集めるのも一考かなと感じた山旅でもありました。案内いただいたクラブのスタッフの方をはじめ、協力いただいた方々に感謝申し上げます。