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富士山完登プロジェクト

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村山古道復活記念 富士山完登プロジェクト2005(クラブ公認プロジェクト)

後援:富士市教育委員会、富士宮市教育委員会

平安時代末期、修験者の登山道として開かれ、1000年以上にわたり隆盛を極めた村山古道。明治期の廃仏毀釈や新道付替えに伴い100年前には廃れてしまいました。その歴史ある古道を、富士山クラブの会員2人が2年間にわたって発掘・再開作業を行い、2004年に復活させました。2005年、その歴史的文化的価値をより多くの人に知ってもらい、古道を歩くことを楽しんでもらいたいと、富士山クラブ会員40人余名が地元・村山の皆さんとともに、実行したのが「富士山完登プロジェクト2005」です。

古の富士修験者のように、万葉歌人・山部赤人に歌われた田子の浦(海抜0メートル)を出発点に、途中、村山浅間神社に詣で、歴史と文化が感じられる村山古道を辿り、山頂(海抜3,776m)までを歩きました。現在の富士山登山といえば、五合目まで車で行き、そこから頂上に登るというのが一般的です。このプロジェクトでは、地元の専門家や研究家に同行していただき、歴史や文化、植生などを学びながら、村山古道をゆったり歩き、「スロークライミング」で頂上を目指しました。

1.村山古道を復活させるまで  表口登山道・村山口登山道の復活

-富士山クラブ会員 畠堀操八(藤沢市在住)

1906(明治39)年廃道になった村山口登山道復活の動きを知ったのは10年ほど前だが、現地の人々も高齢化が進み、せっかく復元した古道も再び草むらのなかに埋もれてしまったようだった。

富士山クラブ会員の篠原豊さんと2人で、村山浅問神仕(標高500m)を出発したのは、2003年7月5日午前8時、頼りにしたのは、富士宮市郷土資料館の『富士山村山登山道跡調査報告書』(1993年)であった。問もなく馬頭観音や札打場の大ケヤキも通過した。難敵は灌木の藪であった。杉檜の植林地は歩きやすいが、旧登山道の切り開け地には目光が差し込み、キイチゴ、サンショウ、タラなどが密生していたのである。

天照教社(標高1000m)から富士山山麓山の村の間は、オリエンテーリングコースになっていることもあって難なく通過できたが、そこから上の難敵は密生するスズタケとなった。確かに踏み跡は続いているのだが、枝着きの風損木が右からの左からも重なって倒れ込んでいる。かすかな巻き道は、溶岩流の上に出ると消えてしまう。この日、沢筋を伝って藪を脱出した2人の結論は、地元の脇力がなければ不可能ということであった。

2回目に村山□登山道に突入したのは11月9日、地元の鯛津勝良さんと松浦伸夫さんが協力してくださることになった。出発点はスカイラインの標高1340m地点、土手状のスズタケの密林に分け入るところから作集が始まった。チェンソーと草刈り機を先頭に立てた機械化部隊である。踏み跡をたどってスズタケを刈り取り、風損木に出会うと誰かが猿になって(地べたを潜るか乗り越えるか)、向こうへいって、両側から切り開くことになる。旧道は溶岩流を避けて、丁寧に続いていた。この日7時間の重労働で、切り開いたのは旧料金所を挟むスカイラインの間、水平距離1.5kmであった。

森林倒壊地帯にぶつかる

3回目は11月24日、午前9時スカイラインの「標高一六○○米」標柱から始めた。スズタケとの格闘は昼過ぎには終わるが、とんでもない場所に出る(1870m)。見渡す限りの全山をひっくり返して逆茂木を植えたような状態である。1996年9月の台風17号で、富士山南斜面で1000ヘクタールの森林倒壊があり、その現場にぶつかったのである。夕闇が迫って年内の探索は断念、雪解けを待って再開することになる。

4回目は2004年3月6日、村山浅間神杜から天照教社までを、5回目は4月25日、天照教社かスカイラインまでの問の掃除をしておき、5月21日、いよいよ新六今目まで貫通を目指した。しかし風損帯は2200mを超えても断続的に広がり、木馬道跡が縦横に走り、そちらに迷い込むことも再三であった。午後になると土砂降りになり、この日は2240m地点から撤退する。

そして7回目は8月1日、上天気のなか高鉢駐車場を出発。倒木帯にはアザミやヒヨドリバナが咲き誇り、クジャクチョウやアサギマダラが飛び交う。2300mを超えると風損木もなくなり、シラビソ林のなかにジグザグの道がしっかり残っている。修験道の遺跡も随所に現れ、ダケカンバ・カラマツ混交林になると足元にフウチソウがなびき、ハンノキが増えるとガレ場になる。ここから新六合の小屋は目前にあった。

村山□登山道に重機とコンクリートは人れないでほしい。1人でも多くの人にここを歩いてもらうこと、それこそ復活した古道を維持する最良の方法である。

2.村山古道を歩く

レポート 「いざ往かん古の登山道」  富士山クラブ会員 土屋四郎

第1区間 「俗界-草山三里」 田子の浦~村山浅間神社

05年4月9日、満開の桜に送られて春欄漫の村山古道を、富士山クラブの会員ら45人が、第一区間『田子の浦』から『村山浅間神社』までの約20㎞の道のりを、約6時間かけて歩きました。

うす曇の中、4月9目朝8時、JR吉原駅に富士山クラブ会員がぞくぞく集合。行きの始発電車の中で何人か知った顔を見て、お互いに「よし。いよいよだなあ~」と感じることしきり。取材の新聞記者からさっそく質間されている会員もいます。

このプロジェクト総大将で"先達"の畠堀さんから、富士市立博物館職員の方3人と各班4名のリーダーの紹介、歩く際の諸注意などを受け、8時15分、登山道始点の田子の浦めざして、ウォーミングアップで歩き始めました。

田子の浦へ到着、少々味気ないものの、テトラポッドの間から、思い思いに海水に手や足をつけ、海抜0mを肌で感じて、いよいよスタートです。天気はぐんぐんよくなり、日差しが強くなってきます。

最初の通過ポイントである富士塚に到着したのは9時ちょうど。富士市立博物館木ノ内学芸員の解説を聞きました。
「ここの富士塚は、富士登山をする人々が、鈴川の海岸で禊をしてから、浜の石を持ってきて、砂丘に積んで登山の無事を祈った」が、その由来とのことでした。さらに、もしかしたらこの富士塚も古墳の跡かもしれないとのことで、遠く奈良の古墳の近くにも、同じ地名が存在するなどの貴重な話を聞けました。

ここで、全員で記念写真を撮って、富士塚へ参り、歩みを先に進めました。ふと見上げると、空にうっすらと富士山が確認できるようになってきました。

古に思いをはせながら、左富士、平家越(古戦場)、吉原宿などをめぐります。気温も上がり、緩い登りがきつく感じ始めた11時45分に富士市立博物館に到着、この地点の標高は100m、本日の最終地点の標高500mまで残り400mが立ちはだかります。ここで1時間休憩。桜が満開で、花見をしながら昼食を食べ、ほっと一息、午後の道中へのエネルギー補給です。

朝のスタートは1班から順に歩き始めたので、ここで順序を変えて午後は4班からスタートです。気分を新たに、博物館を出発、ずっと緩いのぼり坂で標高も徐々に高くなっているのが、一歩一歩を進めるごとに実感。

途中、道端にある道標の数々、「村山道富士は左」と書かれている石を確認しながら、黙々と歩きます。
だんだんと、体にこたえ始めたのか、あんなにはしゃいでいたのに、皆無口になりました。道端の春の花々が風にそよぎ、「がんばれ!」と応援してくれます。

目的地がいよいよとなり、村山浅間神杜手前で最後の休憩を取ったとき思わず、「神様なんだから神杜の方から、こちらに来てくれないかなあ~」と冗談が出ましたが、このとき本当に心の中でそう思いました。総大将の畠堀さんから、歩き通せば、「地元の人が歓迎の準備をして待っているよ」と聞き、皆に笑顔、活が入ります。

「もうちょっと、もう少し、あと一歩」と皆で声を掛け合いよたよたの足をかばい、15時35分、やっと、やっと到着。「キツカッタ~」まずは、村山浅間神杜にお参り、誰一人欠けず怪我もなく到着できたことに感謝し、またこれからの登山の無事を祈ってお祓いを受けました。

ほっとし、疲れがどっとでたところで、うれしい歓迎が待っていました。地元村山地区の皆さんが、心づくしの富士宮名物焼きそばと冷たいミネラルウォーターを用意して、私達の疲れをねぎらってくれたのです。おいしくて、ほっとし、ふっと体からカが抜けていきました。地元の皆さま、本当にありがとうございました。感激しました。さて、次回は5月22目、村山浅間神杜から2合目までを指します。さあ、いくぞ!富士山頂を目指して進みます。

第2区間 「山内-木山三里」 村山浅間神社~西臼塚

2005年5月22日、朝9時40分、村山浅間神社を元気よく出発しました。いよいよ、本格的な古道歩き。同行講師の富士宮市教育委員会の渡井正二さん、昭和大学講師の磯田進さんとともに、昨日作業した、登山口の石畳を踏みしめながら歩きます。ここは、外国人で始めて富士山頂に立ったオールコック初代英国公使も歩いた道。

森を抜け、しばらく公道を歩きます。富士山クラブの"のぼり旗"を立てて歩き、道行く地元の人も「がんばってね」と激励。

馬頭観音のあるところから、再び森の中へと足を進めます。もちろん登山道にはトイレはありません。
一同、全員が携帯トイレをもち、リーダーがトイレ用のテントをザックにくくりつけ歩きました。また登山道には林道が幾度も交差し、周辺にはごみが目につく。知らず知らず、手にはごみ拾い用の袋を持つ会員もいました。

しばらくいくと幹周り3m余りの大ケヤキ。渡井さんが、峰入修行の山伏が札打をしたところと解説。昭和期の札がまだ下がっています。

昼食をすませ、静岡県富士山麓山の村で小休止。ここで、道すがら見かけた、薬用植物、ハーブなどについて、磯田さんより説明をうけました。実際に手にとったり、においをかいだり。残念ながら、もっと話を聞きたいという会員を急き立て、古道を進みます。

雨が降ってきました。かつて女性はここまでしか登れなかった中宮八幡堂。ここまできて、雨が大降りに。富士山スカイラインに抜けるまで30分、足早に古道を急ぎました。森の中よりを歩くこのコースは登山初心者にもお薦め。秋には紅葉の中を歩く企画も予定しています。

第3区間 「御山-焼山三里」 西臼塚~富士山頂

山開き後の7月9-10日。いよいよ西臼塚から、旧登山道を登り富士宮口登山道六合目に合流、山頂をめざしました。

平均年齢58歳の富士山クラブ村山古道登山隊です。しかし、まだ登山道としては完全に整備されていません。昨年に古道を復活させたというものの、ここはメンバー47人全員で、倒木を跨いだり、くぐったりしながら、踏み跡をしっかりつけていき、将来多くの人が村山口登山道を歩いてくれることを願って、道をつけていかねばなりません。

9日朝、西臼塚の古道のぼり口から4班にわかれて出発。前線が停滞し、午後には雨が降り始めるとの予想で、覚悟してのぼりました。歩みを進めるごとに、かつての建物跡が点在します。登山道が木馬道と重なっていることから、茶碗のかけらも発見。作業小屋のあとでしょうか。
また石段があるところも通過。ここはかつて山岳修験の開祖といわれている役(えん)の行者像があったところだという。しばらく進むと、ここが村山登山道の室の跡も確認できました。

昼食後は、次第に雲が厚くなり、雨、雨、雨。六合目に合流したときには、みんなずぶぬれ。ここで村山登山道は、富士宮口登山道に合流します。さて最後の元気をふりしぼり、7合目の御来光荘をめざします。午後6時、全員が何とか山小屋に納まりました。

さて、10日朝3時、昨夜はもう天気が悪くて下山になるかと思われたのが、町のあかりがふもとにきらきらと光ります。4時、頂上目指して出発しました。ものすごい強風です。9合目まで、はげましあって歩きましたが、強風と一部メンバーの疲労がひどく、健脚の11人が山頂を極めたものの、残念ながら残りのメンバーは来た道を戻る下山となりました。

このプロジェクトの成功は、地元富士宮市村山地区の皆さんの協力がなければ達しえませんでした。
今後も地元NPOや富士市、富士宮市と協力し、村山古道が栄えるお手伝いができればと思います。

3.富士学会発表資料

富士学会で富士山クラブ会員の青木直子、畠堀操八氏が村山口登山道について発表しました。

富士山村山口登山道--その歴史的及び文化的意義と古道復活への取組み

最終更新日  2010年7月20日